ざっそう

滋賀県9年目小学校教諭の、自分のためのブログです。教育は、足元のタカラモノ。

まずは1階から

 学校というビルの中で、2階に上がる時、1段ずつ階段で上るのが、体にはいい。でも上れない人もいる。そんな人はエレベーターをで上ったらいい。でもあの狭さが苦手な人もいる。そんな時はエスカレーターがいいかもしれない。そして上れる階段があれば、上ったらいいと思う。そんなビルがいいと思う。なんなら休憩できる階があるともっといい気がする。

 でも世の中というビルはそんなに甘くない。もちろん自分で上り方を選べることが多いけれど、上らないと下に落とされることがある。休憩できるところもあるし、助けてくれる階もあるけれど、それはだいぶ下の階で疲れ果てた頃にようやく現れる。しかも、時にその助けは「もう上に上がれるよね。」と突き放してくることもある。

 だから、学校では「階段で上らないといけないときがあるんだよ。」と伝えておくことも、重要な気がする。

 

 そんな世の中を変えるために、教育から世の中を変える必要がある。未来の社会を創り、これからの社会を担う人たちが、自分たちであたたかな社会を創れるように。だから、学校は学び方、場所、時間が自ら選びとれるようにして、社会は自分たちによって作られると感じられるようにしたい。

 でも、そんなことを本当にみんなは望んでいるのかなとも思う。下手に、自分が理想とする社会を創るためにもがいても、それは結果的に、単に子どもを苦しめるだけじゃないかと。「絶対に変えてみせる」という覚悟と具体的な技術と忍耐力と信念をもっていないと、到底貫き続けられるものではない気がする。中途半端なことをすると、むしろ逆効果なんじゃ。

 

 理想のビルに建て変えるとしても、一人で建てるなんて到底無理だから、一緒に建ててくれる人を集めて自分の考えを分かってもらわないといけないし、骨組みから壁の素材から一つ一つ考えないといけないし、いざつくろうとしても、その理想のビルの良さを分かってもらわないと既存のビルからはなかなか離れてもらえない。納得して離れてもらっても「前のビルの方がよかった」と言われることも多々あると思う。

 理想のビルを創ることは、2年や3年でできるような代物じゃないことはちょっと考えただけですぐわかる。なんなら既存のビルの内装を変えることさえ、1年では無理かもしれない。そもそも周りが自分を信用してくれていないと、1階にも入れない。

 

 

 今、僕は1階にも入れていない。まずは、今のビルに入って、そのシステムの中で、精一杯やることが最優先。それを絶対に見誤ったらいけない。じゃないと、また階段を踏み外してしまう。