「コロナ禍で待ってられない」が置き去りにするもの
「このコロナ禍で」という言葉を振りかざし、たくさん置き去りにしてきたものがある。
それは、相手の感情である。
「人が新しいものを取り入れたくないのは、生きるために変化を恐れるからだ。」
これもよく聞いた。
しかし、いくら世の中にとって、未来にとって必要なモノを取り入れても、それにたどり着けない人や、それに魅力を感じない人の「今」を犠牲にして進めてしまっていいのだろうか。
最新の、自動運転の車を導入したところで、それを「いい」と感じてもらえないままでは、宝の持ち腐れ。そこで、「いい」と感じてもらうためにミッション車の不便さを語ったところで、もし相手がミッション車で必死に生きてきた人だったら、それはただ不信感を募らせるだけ。
自動運転がいいのはわかる。でも、ミッション車を否定するだけでは意味がない。
相手の感情を置き去りにしたまま進めることは、本当に自分の求めていることなのか。魅力を感じてくれる人だけのためになればいいのか。
まずは相手の感情に、耳を傾けることから。