ざっそう

滋賀県9年目小学校教諭の、自分のためのブログです。教育は、足元のタカラモノ。

「そっと」

 今、入り授業で4年生と跳び箱をしています。今日は、8時間あるうちの4時間目。小単元「開脚跳び」の最後の時間で、自分で練習を選んで開脚跳びができるようになることがめあてでした。

 

 30人近くいるクラスだが、この3時間で開脚跳びができないのはあと4人でした。残念ながら今日は、そのうちの2人は給食後にしんどくなり、昼から保健室に行ってそのまま帰ってしまいました。(決してサボった訳ではなく、先週末からじわじわと押し寄せているインフルエンザの波打ち際に立たされていたようで、昼休みのうちに敢えなく飲まれてしまったようです。)

 

 ということで、今日はあと二人跳べるようになったらいいなーと思いながら授業を進めていました。

 

(ここからなんとなく、語り口調で)

 

 最初に感覚づくりをしたあと、踏切や着手、様々な切り返し技の練習の場を設定し、子どもたちが自分に合った場を選べるようにした。

 

 何と言ってもあとAさんとBくん。自分で練習場所を選びながら活動している。どう見ても、二人とも着手も踏切もできている。でも、一連の跳び箱になると跳べない。原因は一目瞭然。着手がつっぱっている。つまり、シンプルに「こわい」ということ。

 

 ここで思いついたサポートは

①励ます

②手を貸す

 

 もちろん①はずっとしていた。でも②はためらっていた。できれば自分で、または教師ではなく友達のサポートで飛べるようになって欲しかったから。

 とにかく①を続けた。

 ところが、だんだんとAさんの表情がくもる。もともと運動に自信のないAさん。

 このまま①にこだわっていくべきか。でも、もう「開脚跳び」の時間はない。自分のクラスではないので、跳べなかったフォローも難しい。しばらく迷ったが、跳べなかったという経験も大切だけど、「跳べた」という経験の方が大切な気がした。

 ということで、2回だけ、跳び越す瞬間をそっと手伝った。すると、すっと跳ぶことができた。Aさんも「自分でもびっくり」という表情であった。その後、何度も何度も跳べる喜びを味わっていた。

 

 あとはBくん。

 

 最初はそれぞれ練習を選んで活動をしていた友達も、だんだんBくんの元に寄ってきて励ますようになった。別に私が呼んだ訳ではない。自然と、励ましにきた。

 みんなで励まし続けた。

 

 あと4分

 「もっと踏切が『バン』っていうくらい!」

 「手をもっと前に!」

 「もう跳べる!」

 「いける!」

 

 何度もチャレンジするBくん。それでもギリギリお尻が跳び箱に当たる。

 

 あと3分。

 

 迷いに迷いに迷いに迷って、この時も、2回ずつだけ、そっと跳び越す瞬間を手伝った。すると、ぎりぎりお尻が当たらなかった。

 

 そして、あと1分。

「いけ!」「もう一回!」と友達に励まされる中、力の入った顔で跳び箱に向かうBくん。

 

 

 

 

「跳べた!」

 

思わず歓声をあげた。集まっていた友達も、みんなあたたかい拍手を送っていた。

 

 手を貸すのはよくない。子どもが求めていないのに手を貸すのはよくない。と、そんな風に考えていたけれど、それもこだわりすぎなのかなと思えた。自分のクラスなら、また別かもしれないけれど。これを機に、次の台上前転は自らチャレンジするようになれば嬉しい。

 

 まあでもやっぱり、なるべく手は貸さないで、跳べるようになってほしいなー。