ざっそう

滋賀県9年目小学校教諭の、自分のためのブログです。教育は、足元のタカラモノ。

学校に来るだけでいい

 ゴールデンウィークに、大阪で、かの有名な福岡の立花高校の齋藤校長先生のお話をお聞きしました。

 

 立花高校は「名前を書けば受かる」と言われているほどの高校だとおっしゃっていました。そして、それは事実だともおっしゃっていました。それはなぜか・・・。

 

 立花高校は、受験の日になると受験票を握りしめて、門の前の坂道でうずくまっている生徒がいる時があるそうです。

 実は、立花高校は、在校生のおよそ8割が不登校経験者。長い間家に居た子が、決死の覚悟で家を出て向かって来る。そんな中、先生はみんな門の前で祈るように待つ。しかし、あまりのプレッシャーに、門まで辿り着けない子もいる。そこに、初対面の同じように不登校を経験した子が、通りかかり、初対面なのに、背中をさすってやり、一緒に入試に向かって来る。

 

 「そんな姿を見たら、不合格なんて言えない。」と齋藤校長先生はおっしゃっていました。

 

 また、あるフェスティバル (だったと思うのですが)に、生徒たちと参加した時にシュークリームが出たそうです。するとある女の子が、それを持って帰っていいかと聞いてきたそうです。訳を聞くと、弟にもって帰ってやりたいと。その子は両親がいないそうです。それを聞いて、持って帰っていいから、これ食べていいよ、と齋藤先生は自分の分を差し出しました。一度、「いいです。」とは断ったものの、「ええから食べ。」と言われ、遠慮気味に「いいの?」と言いながら、その子は一口食べたそうです。その瞬間、大声で叫んだそうです。

 

「わたしシュークリーム初めて食べた。」

 

その子は、16年間一度もシュークリームを食べたことがなかったんです。それなのに、それを弟にもって帰ってやりたいと言ったんですね。

 

 でもその学校の生徒は言うそうです。「大人になるのが怖い。」と。

「そのままでは大人になれんよって言われた。」と。

 こんな子たちがたくさん通う立花高校。校長先生はおっしゃっていました。

大人は、「できる」から出発するから子どもが苦しむ。「できない」から出発すること。うちの生徒はみんな素晴らしい。子どもが社会に合わせるのではなく、色んな子たちが受け入れられる社会になってほしい。

 

 子どもが困らないように、子どもに力をつけると言って、みんな同じように難しい漢字を書いて難しい計算ができるようになることも大切かもしれないけれど、自分の長所を生かしながら、お互いの足りないところを補い合うような社会にする方が大切なんじゃないかと思いました。

 子どもを育てる=社会に合わせるではないと思います。まるで今の社会が正解みたいに。もっと、一人一人がそのままで輝ける社会にしたいなあ。